火垂るの墓再放送!2018年4月13日に高畑勲監督死去を受けて再放送される運びになったみたいですね。

私は「名探偵コナン~から紅のラブレター~」をめちゃくちゃ楽しみにしていましたが、「火垂るの墓」に挿し変わったっと聞いてびっくり。
その後高畑勲監督の追悼として放送されるなら当然だわなって思いつつ、火垂るの墓の予習をしようと思い、動画を見ました。

その時に「いやまてよ?子供の時は西宮のおばさん意地悪なおばさんだったけど、大人になって見たらおばさん悪くない!すごく正論!」って思いました。
そこでそんな火垂るの墓のおばさんは悪くない?正論の声!その後はどうなった?について書いていきます!

子供のころの目線は清太ですが、大人になったら目線はおばさんに変わっているもので自分も成長したんだなぁーと思いました!

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西宮のおばさんは悪くない・正論と思う理由!

どうもご丁寧に西宮のおばさんだけ集めている動画がありました。
こう見ると清太と節子に対して、徐々に当たりが強くなっているんですよね。

最初はようこそーっといった具合ですが、おかゆのあたりから険悪に。
その後の自炊やオルガン事件で最悪になりました。

今回はこの動画を用いて西宮おばさんが悪くないこと!正論を言っていることを解説していきます!

最初清太と節子が来たときに歓迎している

0:00~

最初西宮のおばさんめちゃくちゃ清太と節子を歓迎しています。
この時点では邪険に思ってなかったみたいですね。

清太のお父さんは軍人ということもあり、干し芋・卵・梅干し等や、その当時めちゃくちゃ貴重だったバターを持ち込みます。
それに清太のお母さんの事を心配している当たり、なかなかいいおばさんって感じですね。

学校を行かない清太に苦言を呈する

1:02~
その後学校を行かない清太に対し「学校は?いかへんの?」と。

それに対し「はぁ。」と気の抜けた声。
この当時学校は貴重なものだったのでしょうか。

この時点では空襲を受けているのは大阪。
その後旦那さんや娘さんが普通に仕事行っているのを見ると、どこかに学校なりなんなりはあるはず。

それにこの時点で西宮は空襲を受けていないですからね。

西宮のおばさんとしては食べ物を持ってきてくれたのはうれしいが、家にいるなら家事を手伝うなりしてほしかったのではないでしょうか。

子供二人が家でゴロゴロしていると、当時は世間の目等もありますからね。

最後にお父さんに送った手紙が返ってこない事を心配しているのを見ると、この時点ではまだいいおばさんです。

清太の母の形見である着物を食べ物に交換する事を提案

1:43~

清太と節子の母の形見である着物を物々交換で食べ物に交換しないか?と清太に打診する西宮のおばさん。
この当時はお金よりもモノの信用の方が大きかったので、物々交換が主流の取引だったようです。

そんな中で着物を物々交換に出さないかというのは、なかなかのファインプレー!!
あの一家は4人家族で、そこに清太と節子が来ているわけですから、食費や光熱費等負担になっているのは確か。

1斗のコメというのは、100合のコメに値します。1合大体180gなので、18キロのコメと交換できるということです。
6人で食べていくには少しきついですが、貴重なコメを18キロも手に入れることができればそれだけ長く生き抜く事ができます。

当時は節米運動といものもありました。

1937年(昭和12年)の日中戦争開戦当時、日本が占領下の朝鮮や台湾で米を増産させたことで、日本国内では米の消費量が増え続けた。しかし1939年(昭和14年)には朝鮮が旱魃により空前の凶作に見舞われ、さらに朝鮮や台湾でも米の消費が増加し始めたことから、それまで同様の米の移入が期待できなくなった。不足分を補う方法にはインドやタイなど外米の輸入があるが、戦時下では物資の輸送力は戦力に回すことが優先された。1941年(昭和16年)に文部省が発行した冊子『臣民の道』にも、物資の輸入は外米よりも軍需品を優先するよう記述がある。こうした当時の米の事情が背景となり、節米運動が起こったものと考えられている。

当時のコメというと本当に貴重だったのがわかりますね。
西宮のおばさんは亡くなった母の形見とは言え、それでコメを1斗手に入れることが出来れば、6人が生き抜けると考えたのでしょう。

たしかに節子の気持ちもわかります。まだ5歳ですから。母との繋がりが無くなると思ったのでしょう。
清太は14歳と当時では立派な大人なのですから、もっとしっかりと節子を諭すべきではなかったのでしょうか。

手に入れたコメを清太と節子に与えるおばさn。

2:49~
西宮のおばさんは物々交換で手に入れたお米を炊き、清太と節子に分け与えます。
まだ母の形見をコメにした手前の事かもしれませんが、まだこの段階では二人の面倒を見てくれています。

おかわりを希望する節子にも嫌な顔一つせずよそってくれています。
この時点までは本当にいいおばさんなんですよ。この時点までは。

ただ残業だから温かいお米を食べられないのが気の毒と言った小言を言っていますが、清太。あなたに行ってるんですよ。学校行きなさい。

この後展開が大きく変わります。

働かざる者食うべからず

3:17~
このタイミングでコメをずっと食べられていたのでしょうか。おかゆに飽きたという節子の一言が問題を引き起こす。
上記でそもそもコメは貴重だとお伝えしましたが、コメを食べられる事だけでも幸せだったのかもしれません。

西宮のおばさんは働かざる者食うべからずといいますが、まだ清太と節子の世話をしています。
たしかに炊いたコメとおかゆってなると話が違いますが、それも食費を少しでも切り詰める知恵でしょう。

6人で長く生きていくためには、どこか妥協する点が必要なのかもしれません。
今回西宮のおばさんは、働かずに家でいる何の生産性もない二人の食事を妥協しようと考えたのでしょう。

たしかにこの時代一人の食事だけでも貴重です。それを二人分も作っているのです。
清太も家にいるならいるなりに家事を手伝ったりといろいろとすべきことがあったのではないでしょうか。

七輪で買ってきて自炊開始

5:00~
七輪で火を焚いてどや顔の清太。それを見て憤りを感じる西宮のおばさん。

おばさん「日の始末だけはちゃんとしてや」
清太「はーい」
階段で歩みを止めるおばさん(無言の圧力です。)

自分たちで自炊を始める清太ですが、すみませんの一言もないのでしょうか。
二人の面倒を見てくれている西宮のおばさんへ感謝の気持ちはなかったのでしょうか。

当時人間一人の面倒を見るのは相当な事。それを二人も面倒見ているのです。
そこに感謝の気持ちもなければ、すみませんもなし。

そりゃおばさん怒ります。挙句の果てには七輪を買ってほっこりする清太。
おばさんは「当てつけや」って言っていますが、たしかに当てつけだと思います。おばさんの言っていることは正論です。

その後洗い物もせずにほったらかしと思えば、節子が泣き出して家族が寝られない。
節子はまだ5歳なので、しょうがない。

清太。あなたがしっかりとすべきです。
そりゃ戦時中母を亡くしたショックはあると思います。めちゃくちゃショックだと思います。

ただ生きていくためには、そんなことも言ってられないのです。せめて清太が世渡り上手だったらと思いますね。

オルガンを弾いている清太を見て怒り爆発の西宮おばさん

6:04~
戦時中は「ドレミファソラシド」が海外からのものなので禁止でした。
そのため「ドレミファソラシド」をそれぞれ「ハニホヘトイロ」としていました。

当時は清太何言ってんだろうって思いましたが、そういう事です。大人になって理解しました。

ただこの戦時中にオルガンはいただけません。近所の目がありますから。
オルガンを弾いて怒られるのは、清太ではなく、西宮のおばさんです。

西宮のおばさんが怒られると、おばさんの家族まで悪い印象を持たれます。

たしかに言いすぎ感はあります。ありますが。
もう少し周りを見られるような清太であってほしかったです。

正論派の声まとめ

40代女性

【40代女性】
今、私は大学生の息子がいます。もし、今、戦争が起こって、食料難だとしたら、親戚とはいえ子供を二人も預かりたくないですし、兄弟が持ってきた食料を食べてしまったって仕方無いと思います。預かる理由が兄弟の持ってた食べ物だとしても、それは仕方無いです。人間、その立場になってみないと、一概に人を責めたりはできないと思いますし、兄弟がいくら子供とは言え、働き者でないというか、お金持ちの子弟だったから仕方無いのもしれないけど、甘ちゃんだな・・・とイラっときたのも確かです。


20代男性

【20代男性】
正しいというより、当時の反応として正当な対応だったと思う。
戦時下でただでさえ助け合って生きていかなければならない状況で、居候の清太の行動や振る舞いは、子供とはいえ社交性を欠いていたと思う。西宮のおばさんはむしろ精神的に幼い清太をもっと叱ってやってもよかったとおもうが、軍人の息子であるからという少しずれたプライドを持った清太にはどのみち難しかったであろうとも思う。


30代男性

【30代男性】
端的に見ると西宮のおばさんがまだ働けない子供の二人にいじわるしてるようにしか見えませんけどしっかりしないとこういう戦争している世の中生きていけないよという強い思いがあるように思えます。大人になってから見ると結局清太と節子がわがままというか居候している身なのにちょっと自分達がなんで悪いのという感じがするおばさんも大変なのにという感じですね。


40代女性

【40代女性】
戦争中は、兵隊に行ったり、戦いに行けない人も武器や軍服を作ったり、家屋を守ったり、日本国民全てが勝つ為に協力している雰囲気だったと思います。せつこは小さいから駄々をこねるのはしょうがない部分もありますが、兄は家にいるのなら、畑を作ったり、野草を探したり、せつこを連れながらでも何か出来る事はあったと思います。おばさんにせつこを預けて出来る事もあったと思います。皆がお国の為に頑張っている時に、妹にべったりなせいたを見ていれば、おばさんがああいう態度になるのもしょうがないです。


30代女性

【30代女性】
火垂るの墓の初見は20年以上前の小学生の時でしたが、その時から西宮のおばさんの対応は仕方ないし、節子の寿命を縮めたのは清太だと思っていました。
いくら隠し持ってきた保存食があるとはいえ、あの時代で食い扶持が、しかも食べ盛りの少年と我慢を強いるのが難しい幼子が増えるわけです。
清太は作中描写から察するに結構なお坊っちゃんで、家事すら出来ないでしょう。
実際、釜の掃除なんかおばさんひとりでやってましたしね。
部屋も1つ潰さなくてはなりませんし、洗濯だって手洗いの時代に汚れ物が増えるんです。
節子の年齢からいって粗相もあるでしょう。
勤労奉仕にも行かないなら、隣組での近所の目もきついでしょう。
おばさんにも守るべき家族がいるわけで、助け合ってなんとかなっていたコミュニティーの中で、14にもなって甘えきった根性が癪に障るのも無理はないと思います。


30代女性

【30代女性】
お米がある時には、ちゃんと大盛りご飯やおかわりまで子供たちに食べさせていた。
「お国のために働く人のご飯と家にいる人のご飯は違う」と言い自分の子供たちにはおにぎりを持たせるが、おばさん自身も清太や節子と同じ雑炊を食べている。
非常時だからこその助け合いを説くが、食糧や労働については、一般的な常識の範疇で無茶は言っていない。

松嶋菜々子さんが主演となった、おばさんの視点から見た実写版の『火垂るの墓』を見たことがあります。そちらを見ると、さらにおばさんの正統性が分かると思います。


50代女性

【50代以上女性】
戦時中でいつ空襲で死ぬかもわからない、自分の家族の食料確保も大変な時に子供の居候が二人いてそれだけでもかなりのストレスだと思う。
二人は居候している家のために役に立つこともせず勝手なふるまいが多いし、自分のやったことの後始末も出来ていない。
おばさんは言い方はきつめではあるけれど言うべきことを言っているだけだと思うし、よく我慢しているとも思う。


30代男性

【30代男性】
途中でおじさんとの絡みもありましたがお金とかそういうこと云々ではないん
ですよね。当時の14歳といえば充分働き手になっていい年齢ですから。
節子はまだ小さいのでしょうがないにしても清太の行動にはやはり疑問符が
付くのでしょう。戦時中でみな助け合って生きていかなければならない。
おばさんはそこを強調したかったのでしょう。
清太と節子が物語の中心ですからおばさんが意地悪に描写されてしまうのは
仕方のないことでしょうね。


30代女性

【30代女性】
戦争中という事もあり、誰だって我が子が可愛いのに決まっているし平等にしてあげたくても自分や我が子が1番になるのは当たり前で仕方がなく、強く接していたのだと思います。
居候という立場上もう少し、清太さんが上手くおばさんと仲良くしていれば、おばさんも気持ちの面で優しく接してくれたのではないかなと思います。
ですから、戦時中はおばさんの行動は正しいのかもしれません。


50代女性

【50代以上女性】
私も、何度か観たうちの、初めの方ほど、西宮のおばさんを鬼ばばのように思っていましたが、そのうち、すべて、言っていることに間違いはなく、一応正論で、当時、お国の為になすべき常識などをわきまえて注意していることだと気付きました。オルガンを弾いてはしゃいでいるところを静かにさせたり、着物を売ってお米に換えることも、時節柄仕方が無かったのだと思いました。また、七輪などを散らかしたまま寝てしまった後始末も、なんだかんだ言いながらも片付けてくれたりと、きちんとした生活を送っていて、曲がったことやだらしないことが許せない気質で、決して意地悪だけで言っていることでは無いと思えるようになりました。


20代女性

【20代女性】
戦争の中、誰もが苦しみ、おびえながら我慢して毎日を送っていたことでしょう。そんな中、清太は働くわけでも学校へ行くわけでもなく、更に、お世話になっている家の手伝いをする訳でもなく呑気に過ごしていました。また、少し注意すると、いじけてしまうところもありました。みんなで協力して生きていかなければならない時代に、清太の態度は西宮のおばさんにとって頭を悩ませたのかも知れません。


30代男性

【30代男性】
戦時中でなくても、あれだけの環境で自身や自身の家族が生きていくのにも精一杯の中で、ただ与えられることを望むだけの労働力にならない子供が1人増えるのは誰でもイライラするでしょうし、言い方はあるにしてもほとんどの人が同じような対応になっていたのではないかと今は感じます。
自分自身や自身の家族を優先して守るという考え方は間違っていないと思います。


40代女性

【40代女性】
子どもだから・・・白いごはんを食べたい、という気持ちはわからないでもない。ただ、食い扶持が増えただけの親戚の子に確かに貴重なご飯をあげたくないという気持ちもよくわかる。働かざる者食うべからずということだろう。大人になっておばさんの言うことは一理あるというか、それはいじわるではなく、まともな意見だなと感じることが多くなりました。私でも、目の前にそういう状況になったら自分の家族を優先するだろうし、要求だけされるのは困ります。おばさんの言った言葉は、大人として、また家庭の台所事情を守るものとして自然に出た正しい言葉だったのだと思うのです。


20代男性

【20代男性】
世間一般的な意見でいうと、
まだ子供を追い出そうとしたことは
実に最低な人間化もしれません。
しかし、あの状況
いつ、戦争が終わるかもわからない
いつ、食料や物資がなくなってしまうかもわからない。
自分のおなかを痛めて生んだ子供を守らなければいけない。
そんな状況を考えると、いくら親戚とはいえ他人の子供。
非情になっても仕方ないとおもいます。


20代男性

【20代男性】
私にはあのおばさんが正論を言っているとは思えません。
出てってほしいなら出てけっていえばいいものを 子どもに非情な人間と思われたくなくて
ジリジリと嫌味言って追い込んでるのも底意地悪い 確かに働いては無いが、相応の食糧渡してるうちは もうちょいマシな扱いするのが筋ってものだと思います。大人目線で見ると正論を言ってるかのように 見えますが 実際もっとマシな言い方があると思います。

子供のことは清太目線でしたが、大人になったらおばさん目線になった方が多いのではないでしょうか。
おばさん擁護派の意見が多いです。

たしかに清太は軍人の息子としてプライドがあったのかもしれません。
食べ物とかいろいろもってきてやったぞ!いざというときにはお金もあるぞ!ってな感じで!

ただ当時はお金以上にモノに価値がある時代
持ってきた食べ物が底をつくと、清太が軍人の息子というアドバンテージは消えてしまいます。

仮に学校が無くて、家に居るしかなく、節子の面倒を見ないといけない。
そんな状況なのだったら、尚の事おばさんに「何かお手伝いできることはありませんか?」と聞くべきだったと思います。

戦時中は今と違って一人養うのも大変です。
それが二人となればどうなるかなんて、14歳にもなっていたらわかっているはず。
清太の気持ちもわかりますが、わかりますが、もう少し大人になってほしかったですね。

西宮のおばさんのその後は

ここからは完全に妄想です。
だって映画はその後の描写無いんですもん。

清太と節子がオルガン事件をきっかけに家を出ていったあと、おばさんは少し心配します。
本当は優しいおばさんなんです。

戦時中は生きるのに必死で必死で大変なんです。

そんな時に清太と節子が来て食べさせるのも大変。
家にずっといるのに家事の手伝いもしない。
挙句の果てにはあてつけかのように七輪を買って自炊。
出ていけ!!っていうおばさんの気持ちもわかりますが。
その後生活が落ち着いたら、当時は清太と節子に悪い事をしたと反省しているのではないでしょうか。

恐らくおばさんの旦那と娘・息子はそのまま生き延びることが出来たと思います。
しかし清太と節子が生きているとの知らせもない。いい大人ならこの時点で亡くなったと気づくでしょうし。

これまで清太の事をもっと着丈にふるまうべきだった!世渡り上手だったら!
って書いていますが、言っても多感な中学生です。

そんな時に家が無くなって、お母さんも亡くなって、お父さんが戦争に行って、焼け野原を節子と二人で西宮まで。
しかも清太のお父さんは軍人なので、軍人の息子というプライドもあったと思います。また男尊女卑の時代なので自分から手伝うというのをプライドが邪魔して言えなかったのかもしれません。

大人だったら生きるためにプライドを捨てる事はできると思いますが、清太はまだ中学生ですからね。

そんな清太の気持ちにおばさんが気づくのは、恐らく戦争が終わって生活が落ち着いてから。
悪いことをしたなと思う反面、すべては生きるためだったを言い聞かせて生きていくのかもしれません。

おまけ:みんなの感動シーンはどこ?

40代女性

【40代女性】
感動するシーン、実は個人的には無いのです。最後まで妹を看取るシーンと言いたいところなんですが、あまりにも悲しすぎて・・・。


20代男性

【20代男性】
清太と節子の防空壕での暮らし始めた時のダイジェストで流れるシーン。後半のことを思うと節子の笑顔がとてもやるせなくて泣ける。


30代男性

【30代男性】
子供の時に再放送で見て子供ながらに節子の遺体を焼くシーンで炎がバックで蛍が舞い上がるところは感動しました。


40代女性

【40代女性】
おばさんの家を出て、兄妹でお互いを思いやりながら、慣れないながらも一生懸命に楽しそうに生活するシーン。


30代女性

【30代女性】
冒頭、セピア色のシーンで節子と清太が無邪気に戯れているところを、1度ラストまで観てから戻ると、なんとも言えない気持ちになります。
可哀想だな、とかやっと楽になれてまた仲良く過ごせるんだね、とか色々な気持ちが入り交じります。


30代女性

【30代女性】
節子がおはじきを舐めるシーンだったのですが、繰り返し見るようになってからは、冒頭の清太が駅で亡くなるシーンが一番泣けるようになりました。


50代女性

【50代以上女性】
節子の火葬の時に男の人が「良く燃える」というようなセリフを言っていて、そのシーンの天気の良さと男の人の暗さのない様子がかえって悲しかった。


30代男性

【30代男性】
部分的に観れば節子が死に、清太も憔悴しきって結局死んでしまうシーン
のところですね。印象に残るのは。清太のそれまでの経緯など考えると
そのシーンで泣けなくなるんであまり考えずに観ますね。


30代女性

【30代女性】
体調が悪い妹の為に、清太さんが一生懸命色々してあげようと必死に走り回るのが見ていてとても感動します。


50代女性

【50代以上女性】
何度か観ていて、知っている所為もあるかもしれませんが、西瓜の場面になると、感動と、節子が不憫なのとで、自然と涙が溢れてしまいます。


20代女性

【20代女性】
防空壕の跡地で住むことになった清太と節子が蛍を捕まえてきて蚊帳の中で放し観賞するシーンです。辛い生活の中、小さな幸せを見つけた2人の笑顔が切ないです。


30代男性

【30代男性】
べただけど、ドロップをからんからんするシーン。
小さい頃に見てからドロップを見ると火垂るの墓を思い出すし、戦争を連想してしまいます。


40代女性

【40代女性】
せっちゃんの元気な姿の回想シーンは何度観ても涙が出てきてしまいます。戦争という大きな時代の流れに振り回されてしまった二人ですが、それでもやはり幸せな時があっただろうし、死ぬとわかっているせっちゃんの元気だったころの姿が全面に映し出されると感動してしまい、嗚咽が漏れてしまいます。


20代男性

【20代男性】
清太が死んでしまうところだと思います。
理由はどうであれ、兄妹二人だけで生きてきたのに
結局は非情な現実に抗えず、死んでしまうのは心に来るものがあります。


20代男性

【20代男性】
終盤
節子が弱り切って、清太が火事場泥棒するようになってから節子が死ぬまで。

その間わずか20日あまりですが、あまりに忍びない…

まとめ

火垂るの墓のおばさんは悪くない?正論の声!その後はどうなった?について書いてきましたがどうでしたでしょうか。
大人になって見てみると、目線が変わっておばさん正論!悪くないってなりますが、その反対に清太が悪かったのかと言えばそんな事はないと思います。

あの時代大人一人でも生きていくのはツライと思います。
そんな中、中学生にして節子を連れて西宮まで行き、家を出て洞穴で暮らす様は立派です。

もう少し早く戦争が終わっていればと思いますが、そうともいきません。
みんな生きていく上でしょうがないのです。

昔は清太かわいそう、おばさん嫌な人!って思っていましたが、大人になって見てみるとおばさんは正論しかいっていないなーと思いました。

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