朝青龍の現在
引退後、母国モンゴルに帰国後実業家として活動しモンゴルのレスリング強化選手等に関わっており
引退後もスポーツ関連に愛着を持って関わっているようで現在もあの喜怒哀楽っぷりの激しさは健在です
本当は骨折していなかった?
ダウンタウンなうに出演した朝青龍が当時の事を語ってくれました
いったん席に着き浜田から「やっぱあれやね、現役の時よりかは、なんか顔が柔らかくなったね?」と当時のツンケンしていた時の物腰の違いを話すとヒロミと松本も「やさしくなってる~」と同意
朝青龍の起こした事件で有名なあのサッカー事件ですね
朝青龍サッカー事件
当時の朝青龍は疲労骨折を理由に
夏巡業を休んで母国モンゴルでの療養の為帰国していたが、帰国後イベントで
サッカーを思いっきりプレーしているところを撮られ当時のワイドショーや各界を騒がせた
松本が鋭く「あれってホントのところ、骨折してたん?どーなの?」と質問すると
朝青龍が苦笑いしながら「いやーーーアレってホントのところ痛くてギリギリだったんですよ、だから夏巡業休んでモンゴル帰ってゆっくり治そうとしてたんですけど」と語り更にモンゴルでのサッカーイベントでのプレーするまでの経緯を語りました
要約すると、帰国後たまたま中田英俊が参加するサッカーイベントがあり中田から「ドルジ(朝青龍のモンゴル名)いっしょにやろーぜ」
と誘われ断り切れなかったとゆう、また朝青龍自体モンゴルの英雄だと自覚もあり”子供たちと一緒にサッカーしたら喜ぶんだろうな”という気持ちが後押しとなりサッカーするに至ったという・・
それを聞いた浜田は「やらん訳にはいかんかな~~」といった感じで朝青龍の心中を察知した
するとヒロミが「でもな~~~動きが(サッカーしてる時の)良かったんだよあぁ~~」と言うと松本も「そーやねん(笑)骨折してるように見えへんもん」
すると朝青龍いわくギリギリ骨折はしていなくて痛みがひどかった状態だったという・・そしてサッカーで最終的には骨折してしまったそうな
するとヒロミが「心も折れちゃった(笑)」といって笑いに
横綱としての品格
そこでヒロミが朝青龍の力士人生の年表が書かれたフリップを取り出す
・1988年1月初土俵
・2001年1月幕内昇進
・2003年1月横綱昇進
なんと幕内昇進からわずか2年で横綱昇進しますが、すでに品位に不安の声が・・
旭鷲山の車のドアミラー破壊事件
その年の5月にはモンゴルの先輩力士旭鷲山の車のドアミラーを破壊するといった騒動が勃発します
事の発端は2003年の五月場所での朝青龍と旭鷲山との取り組みで朝青龍は負けてしまいますが、悔しさからか睨みをきかせ下がりを振り回します。
さらに次の7月場所では旭鷲山いったん勝ったと思いきや、髷(まげ)を掴んでの反則負けに・・・
するとこの取り組み後旭鷲山関の車のドアミラーを破壊したと報道がありましたその真相は?
この真相に関して朝青龍は、「これね・・イヤラシイんですよ、これねワザワザ僕に車が近づいてきてその瞬間マスコミが近づいてきて、それでなにかが腕に当たってるなと思って腕を振り上げた瞬間ドアミラーが飛んじゃった」
という・・たしかに・・力士の怪力くらいならチョットした力でドアミラーくらい余裕で破壊できそうです(笑)
実業家としてのドルジ(朝青龍)
29歳の若さで現役を引退した朝青龍ですが現在はいったいどんな事をモンゴルで活躍しているのでしょうか?
モンゴルレスリング協会の会長
現在の朝青龍は記事冒頭でも書きましたがモンゴルレスリング協会に入り技術指導などを兼任し
・2015年の世界選手権はモンゴルは階級別でメダル5個獲得しています
※日本は3つ

朝青龍が会長と技術指導を兼任し始めてから急に強くなってきたと嬉しさをほころばせていました
ちなみにメダルを獲得した選手に1Kgの金塊をプレゼントをしたと語りました
それを聞いていたヒロミが「え!?朝青龍は大統領になるの?」といいなんというかモンゴルの社会貢献、国際貢献に関わってるのでついこんな質問を・・するとキッパリ「いや、それはないです」朝青龍は否定し、
そもそも実の兄が政界にいてその方向性はには興味が無いといった感じでした
実際どんな事業をやっている?
・小規模の銀行経営
・不動産業
・ドイツレストランのスポーツパブ
つい最近始めた大規模な農業事業に力を入れていてなんとその土地、50万ヘクタール!!
あまりの土地の大きさにヒロミもピンときていなくて「え?東京ドーム何個分?」と聞くも「東京ドームじゃないんですよ!関東全域ですよ!」と言うと一同愕然、規模がでか過ぎて(笑)
※ちなみに10ヘクタールで東京ドーム2.1個分になります
現在テストで3000トンの蕎麦を作って日本に11月には送る事になっているとの事
ゆくゆくは日本で食べられる蕎麦をモンゴルで生産して日本との掛け橋として役に立ちたいと思いを語っていました
まとめ
あれだけ日本にいるときは週刊誌や報道などで叩かれていた朝青龍ですが
そんなことは一ミリも思っていなく日本を愛していて海外で日本人に合うと凄く懐かしい気持ちになるとゆう朝青龍ですが
モンゴルで日本との掛け橋となるような事業までやっていて凄く桁が違う事をやっていて
報道や叩いていた週刊誌のイメージとは全然ちがう人間でしたね