選挙に立候補している人物の中でも特に話題となっている人物が「徳川家広」という人です。
歴史に登場する有名な徳川家康の末裔とのことで話題を集めている徳川家広氏ですが、一体どのような人物で、どのような経歴なのでしょうか。
また選挙に出馬する以上はその評判も知っておきたいところです。
徳川家広氏とは?
少子化は、将来への不安が原因。
すべての世代を安心せる政策、
国民ファーストのセーフティネットが必要です。#徳川家広 #立憲民主党 #伊豆市 #土肥 #土肥金山 pic.twitter.com/ZeuVExzqJP— 徳川家広 (@hiro_tokugawa) 2019年7月9日
現在54歳の徳川家広氏は、松平容保の男系玄孫で徳川宗家の次期当主。また徳川記念財団の理事を務める人物です。
また徳川家康を祀る久能山東照宮の祭司でもあります。
現在は政治経済評論家や作家、翻訳家など様々な活動を展開しています。
徳川家広氏の父親は徳川宗家18代当主恒孝(つねなり)氏、元日本郵船副社長でありながら徳川記念財団初代理事長でもある人物です。
徳川家広氏の経歴
1965年2月7日、東京で生まれた徳川家広氏でしたが、生まれた家は豪邸というわけではなくどちらかというと庶民的な普通の家だったようです。
その後、父親の仕事の兼ね合いで日本を発ち、海外ニューヨークのロングアイランドに引っ越します。
本場アメリカのなまりが入った英語を身に付けつつ、公立の小学校に通っていたそうです。
1974年、9歳となった徳川家広氏は日本に帰国しますが、学習院に入学したところ日本語が話せなかったため、苦しい日々を送っていました。
漢字も日本語も全くわからなかったのですが、母親の協力の元、なんとか不自由ないレベルまで日本語の習得が追いついたそうです。
その後は学習院高等科、慶應義塾大学経済学部を卒業します。
日本語がわからない状態で帰国してから、必死に勉強してこのような有名大学まで進めるのはすごいことですよね。
アメリカミシガン大学で経済学修士号を取得し、財団法人国際開発高等教育機構FASIDに勤務したあと、国際連合食糧農業機関FAOでローマ本部などで勤務するなど国際的な活躍をしています。
さらにコロンビア大学大学院政治学研究科を修了すると、政治学博士号を取得しています。
2001年に帰国してからは翻訳の仕事などを始めたようです。これだけ外国での経験があれば、翻訳などは何ら問題なく活躍できそうですよね。
徳川家広氏の評判は?
政治家としての活動はまだないため、政界進出における評判などは不明瞭な点が多く、情報もほとんどありません。
しかし徳川家広氏の人柄を知るために重要となる「奥様の存在」から本人がどのような人柄であるのかを察することはできそうです。
両親の猛反対を押し切り、徳川家広氏が結婚したのはベトナム人の女性でした。
両親がなぜ反対していたのかというと、ベトナム人だからとかそういった差別とは別の点に理由があったようです。
家宝など、代々受け継がれてきた伝統は「日本人としての心構えが無ければ背負うことはできない」という想いから、ベトナム人女性を結婚相手に選ぶことへ反対していたそうです。
家柄を守ることより、自分の信じた道を進む決意で、反対を押し切って2006年に結婚しています。
奥さんのことを「100%、私を支えてくれる存在」と話しているなど、微笑ましい家庭であることが想像できます。
ベトナム人女性と結婚したいと言っていたことで両親から異分子とみられ御殿場の隠家に追いやられたり、翻訳家として活動し始めた頃に取引先のプロジェクトが廃止になったり、紆余曲折の苦労を重ねてこれまで活動されているようです。
まとめ
経歴や過去、奥さんについてなど徳川家広氏について詳しく紹介しました。
実際のところ、ネット上にもほとんど情報がないため評判らしい評判の情報は得られませんでしたが、本人はどんな逆境でも自分の道を譲らない努力家で、奥さんはその良き理解者であることがわかります。
帰国子女としての苦労、また両親の反対を押し切っての結婚など、決して楽な道のりではなかっただろうことも、同時に想像に難くありません。
海外での経験が今に活きていることもあり、国際化する社会に対応した政治活動ができるのではないでしょうか?
今後の活動にも注目です。